ここはホエールウォッチングが楽しめる港町。近くの商店街では、クジラに因んだクッキーや饅頭、キーホルダーなど、様々な関連グッズが陳列されている。
観光客には喜ばれるかもしれないが、現地在住の佳央からすれば堪ったものではない。街中クジラだらけでうんざりしてくる。窓の外から聞こえてくる喧噪に、溜息をついた。
目が覚めてしまったので、そのまま寝室を出て、キッチンへ向かう。冷蔵庫から「クジラの水」と書かれたパッケージのペットボトルを取り出した。寝起きだったからだろう。思いのほか自分の喉が渇いていたことに、飲んでから気づいた。
ふと窓のほうを見る。昨日の天気予報では晴れだったはずだ。なのに、室内は夕方のように暗い。いつもなら、カーテン越しでももっと明るくなるのに。不思議に思った佳央は窓に近づき、カーテンを引いた。
「はあ⁉」
玄関から飛び出す。慌てていたのでスウェットのまま出てきてしまったが、仕方がない。日差しを遮っていたもの。その正体は、巨大なクジラの風船だった。大きすぎて街全体を覆ってしまっていたのだ。
「おーい」
「あ?」
唖然と見上げていた佳央の耳に、溌剌とした声が届いた。音の聞こえた方向に目をやると、幼馴染兼同級生の直己が、手を振りながらこちらに近づいてきた。
エプロンをつけているところを見るに、朝早くから両親の店を手伝っていたようだ。実際その通りで、今は忘れ物を取りに自宅へ戻る途中だという。
普段なら人一倍騒がしいやつなのに、この異常事態にまったく動じていない。佳央は首を傾げた。
「お前、今の状況なんか知ってんのか?」
「ああ、あれのこと? あれはね」
直己が両親から聞いた話によると。
先々月の地区協議会で、観光地として商店街をもっと盛り上げよう! と巨大なクジラの風船を作ることになった。しかし、発注する際に数字の桁を間違えたらしい。話し合いの末、間違えたものは仕方がない、せっかく作ったのだから使用しようということになった。
「そして今日に至る、というわけ」
「はあ」
日差しがないと滅入っちゃうよね、と直己は苦笑している。
確かに時間と労力をかけて作った代物だろう。しかし、そんなあっさりでいいのか。呑気すぎるだろう、この街の人たち。
「突っ込みどころが多すぎるが……まあ、事情はわかった」
しかし、これだけは言いたい。人差し指を、上へまっすぐに伸ばす。
「片付けるの大変じゃね?」

